義務教育から考える

日本における義務教育とは

学校。この言葉を聞いて、思い浮かべるイメージや思い出は、本当に人それぞれだと思います。
そもそも日本には「義務教育」とありますが、詳しく考えたことはありますか?

〔教育を受ける権利と受けさせる義務〕
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

(出典)「日本国憲法」より抜粋 ※マーカーは著者による

第二章 教育の実施に関する基本
(義務教育)
第五条 国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。
2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。
3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。
4 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。

(出典)平成18年12月22日に公布・施行された「教育基本法」より抜粋 
※令和7年4月現在最新,マーカーは著者による

学校などに通う学習者にとっては、普通教育を受ける「権利」であり、
義務教育とは保護者にとっての、普通教育を受けさせる「義務」である、とのこと。

もう少し踏み込んで考えてみると、「普通教育」とはなんでしょう?
上記の教育基本法では、
①各個人の有する能力を伸ばす ②社会において自立的に生きる基礎を培う ③国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養う ことが目的である、とのこと。ん~難しい。ちなみに、ほかにも学校教育法では下記のような記述が。

第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)第五条第二項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
二 学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
三 我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
四 家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。
五 読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。
六 生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
七 生活にかかわる自然現象について、観察及び実験を通じて、科学的に理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
八 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。
九 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと。
十 職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。

(出典)令和5年4年1月施行された「学校教育法」より抜粋 
※令和7年4月現在,マーカーは著者による

長い…。そしてわかりにくい。
私なりに解釈した内容は以下の通り。

目的
(教育基本法)
①それぞれがもっている力を伸ばす
②自分の力だけで生きるための基礎を培う
③コミュニティに求められる基本的な資質を養う
目標
(学校教育法)
①学校内外の社会的活動から、独りよがりにならないようコミュニティに参加し、発展を手助けする態度を養う。
 →社会集団の一員として

②学校内外の自然体験活動から、命を大切にする精神や環境を壊さないようにする態度を養う。
 →地球人の一員として

③自国のことを正しく理解・尊重し、うまれた場所を愛する態度を養う。また、他国の文化を理解することで尊重し、
世界の平和と発展を手助けする態度を養う。
 →国際社会の一員として

④家族や生活に必要ないろいろの基礎的な理解と技能を養う。
 →生活者としての一員として(基礎的な社会科的側面)

⑤生活で使う言葉を正しく理解して、使える能力を養う。
 →生活者の一員として(基礎的な国語科的能力)

⑥生活で使う数量的な関係を正しく理解して、使える能力を養う。
 →生活者の一員として(基礎的な数学科的能力)

⑦生活における自然現象の観察や実験を通して、科学的に理解して使える能力を養う。
 →生活者の一員として(基礎的な理科的能力)

⑧幸福な生活のための習慣を養い、運動して体力も養い、心身の調和的発達を図る。
 →生活者の一員として(基礎的な体育科的側面)

⑨生活を豊かにする芸術について理解し、技能を養う。
 →生活者の一員として(基礎的な芸術的側面)

⑩職業への理解や技能、勤労を大事にする態度、個性に応じて将来の進路を選択する能力を養う。
 →勤労者の一員として

これでも十分に長い。そしてわかりにくい。。
でもこうしてみると「社会秩序を保つための土台作り」という感じがします。
そして社会とは、「国際社会における日本社会」という感じでしょうか。
どちらにせよ、「集団での振舞い方」という感じでいわゆる「空気を読む」ことができるひとたちが多いと言われる日本ではきちんと機能している、ということなのかもしれませんね。
ちなみに、平成17年1月には「義務教育に係る諸制度の在り方について(初等中等教育分科会の審議のまとめ)」話し合われたようです。

2 義務教育の目的,目標
(1)義務教育の目的
 義務教育は,国民が共通に身に付けるべき公教育の基礎的部分を,だれもが等しく享受し得るように制度的に保障するものである。

 本分科会の審議においては,義務教育の目的について,主に以下に示すような意見があった。

―中略―

これらの意見を大づかみに集約すると,義務教育の目的については,次の2点を中心にとらえることができるものと考える。

国家・社会の形成者として共通に求められる最低限の基盤的な資質の育成
国民の教育を受ける権利の最小限の社会的保障

 義務教育を通じて,共通の言語,文化,規範意識など,社会を構成する一人一人に不可欠な基礎的な資質を身に付けさせることにより,社会は初めて統合された国民国家として存在し得る。このように,義務教育は国家・社会の要請に基づいて国家・社会の形成者としての国民を育成するという側面を持っている。
 また,一方で,義務教育には,憲法の規定する個々の国民の教育を受ける権利を保障する観点から,個人の個性や能力を伸ばし,人格を高めるという側面がある。子どもたちを様々な分野の学習に触れさせることにより,それぞれの可能性を開花させるチャンスを与えることも義務教育の大きな役割の一つであり,義務教育の目的を考える際には,両者のバランスを考慮する必要がある。

 こうした義務教育の目的を実現するためには,具体的にどのような目標を掲げることが求められるのであろうか。
 憲法や法令では,義務教育について「普通教育」という言葉が用いられているものの,現行の法令には,「普通教育」の具体的な内容や義務教育そのものの具体的な目標を直接的に示した規定は存在しない。学校教育法においては,小学校及び中学校の目的やその教育の目標がそれぞれ示されており,これらの規定に従って,学習指導要領などの教育課程に関する事項が定められ,各学校における教育活動が実施されている。
 現行の学校教育法における各学校の目標に関する規定をめぐっては,小学校については,比較的詳細な規定が置かれている一方,義務教育の終了地点である中学校については,例えば,「小学校における教育の目標をなお充分に達成して」のような相対的な表現が用いられるなど,具体的に何をどこまで達成することが求められているのかが必ずしも明確でないとの指摘がある。
 このことについては,戦後,現在の学校教育制度が発足するに当たり,戦前から義務教育期間として確立されていた6年間の小学校教育に比べ,新たに設けられた3年間の中学校における教育については,制度発足までの時間的な制約等から,十分な検討を行うことができなかった事情があるのではないかと言われている。

 新しい時代に求められる義務教育とは何か,その実現のための制度はどうあるべきかを考えるに当たっては,まず,その目標について,将来に向けた視点も踏まえつつ,改めて明確化する必要がある。
 そのための検討に当たっては,中央教育審議会が平成15年3月の答申「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」において示した,教育基本法の改正の視点や教育の基本理念についての提言を十分に踏まえることが必要と考える。
 併せて,教育の目標や実際の教育活動において小学校と中学校とが分離され,それぞれの中での完結が強く求められるあまり,義務教育9年間全体を通しての目標や達成すべき水準が充分に意識されず,また,小学校と中学校との間の連携や教育の一貫性が弱くなりがちとなっていることなどの反省を踏まえ,義務教育9年間を見通した目標について検討を行う必要がある。

 以上のような視点から,本分科会においては,今後の義務教育の目標として具体的に何を求めるべきかについて,幅広く議論を行った。現時点では,その最終的な集約には至っていないが,主に次のような意見があった。

―以下略―

(出典)義務教育に係る諸制度の在り方について(初等中等教育分科会の審議のまとめ)
※文部科学省ホームページにて

「おぉ~!」と思いながらも、結局のところ未完で終わっているのかな?という気持ちも。。あくまでも個人の簡易的な調べどまりなので、もしかするとその後意見が集約されている…のかもしれない。

ちなみに、不登校などのキーワードが登場する令和5年4月1日 施行「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」では、普通教育という文言が「普通教育に相当する教育を十分に受けていない者」と言った表現で登場(不登校の定義は別にあります)します。いよいよ普通教育という存在が怪しく見えてきてしまうのは私だけ…でしょうか?

能力主義と優生思想

気付かれたひとも多いかもしれませんが、実は上記にて。理解や知識に加えて、態度や能力、技能といった言葉が多分に使われています。過去に覚えはありませんか?

「なんだ、その態度は!?」
「そんなこともできないのか!?」

そう言われて、「そんなこと言われたって…」と感じた経験は。
こういった能力主義や優生思想について触れた書籍があるのでご紹介します。(ちなみに上記の法律などでも「能力を養う」という文言であり、決して能力の上下を意味するものではありません。ですが、もしそれがいきすぎてしまうと…という仮定で、こういった考え方もある、という風に思って読んでいただけるといいかもしれません。)

①働くということ「能力主義」をこえて/勅使川原真衣(集英社新書)
この社会では、学生であろうと職をもつ者であろうとそうでなくとも。「選ばれたい日常」が溢れてしまっている。
冒頭からそのような描写が描かれます。
そしてその根幹ともいえるものが能力主義ではないか、と。

能力がある者こそ選ばれるのだから、皆努力して能力を磨きなさい、と。
しかもそれは、企業などにおける仕事面でも、学校などの教育面でも表れている(実際に教育基本法の第一章第一条「教育の目的」も引用されていて、「人格の完成」を目指す教育の在り方についても疑問を投げかけています)と指摘します。

もともとこの本の筆者は組織開発の専門家であり、一見すると、能力主義の渦中にいるような印象を受けます。
にもかかわらず、こちらの本では「能力主義」や「選ばれる」ことへの疑問を投げかけています。
とても興味深い内容です。ほかにも『「能力」の生きづらさをほぐす(どく社)』や『格差の”格”ってなんですか? 無自覚な能力主義と特権性(朝日新聞出版)』などの本を書かれています。

②この国の不寛容の果てに/雨宮 処凛編著(大月書店)
2016年7月26日、神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた事件。
障がいをもつ方に対し「生きていても仕方ない」というような考えから、19人の方が亡くなり他にも重軽傷者を出した事件。

まさに優生思想ともいうべき考えがあらわになった事件であり、何よりも、事件の動機を聞いて、少なからず同調したひとたちがいたという事実。その現実に向き合うべく、様々なひととの対談を通して考えていく本書。
興味深いのは、対談をしている方々。福祉などの本を読んでいると一度は聞いたことのある方々との話は、読んでいても考えさせられます。

筆者は『生きのびるための「失敗」入門(河出書房新社)』や『難民・移民のわたしたち これからの「共生」ガイド(河出書房新社)』といった多くの本を書かれています。

能力主義や優生思想。
ひいては、個人主義が叫ばれる世の中では、「自己責任」という言葉が投げかけられます。
どうしようもない違和感を抱きながら、なんとも言えない気持ちになってしまいます。

でも、知ることは不安を感じるためではない、と思います。
知ることで、希望を見出すことだってできるのではないか、と。

知らず知らずのうちに取り込まれていた、自分の中にあった考えのクセのようなものを本を読むとほぐされていくように感じます。もちろん本を読まなくても、話をするだけでもいいかもしれません。

学校などの教育現場はもちろんのこと、小さな違和感をそのままにしないためにも、できることを。
生きていくうえで、選択肢が増えればいいな、と思います。

\ 最新情報をチェック /